出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 広東省 湛江市 遂渓県 |
資料にある地域情報 | 遂渓地区 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 純兵団が遂渓地区に駐屯し陣地構築を始めると、間もなく、遂渓の町に慰安所と酒保が開設された。陸軍では、戦闘が一段落し占領地に駐屯すると、必ず、慰安所が設置される。・・・慰安所の建物は、経理部でバラックを建設し、抜け目ない商人が、軍属となり、広東から20名ばかり慰安婦を連れて乗り込んで来たという噂が広まった。軍隊では語源不明であるが慰安所をピー屋と呼んでいた。ピー屋のオヤジが、広東市の若い現地の女性と植民地出身の流れ女性を連れて店を開き連日大盛況と、前線陣地でも語り種となった。此所は、昼間は一般兵士夜は将校の御用達と決まっていた。・・・慰安所に登楼する兵士には、突撃一番と称するゴムサックを支給し、必ず使用するよう厳命するが、中には使用後、裏返して二度使い、忽ち、性病に感染した粗忽者も居り、サックのみでは頼りにならず、感染源、慰安婦の性病を摘発し、営業停止、強制治療の処置を採らねばならぬ。規定により、慰安婦は毎週、検梅所と称する場所に出頭して検査を受けねばならぬ。・・・遂渓市内の検梅所に赴くと、慰安婦たちが大勢たむろしていた。彼女らは、それぞれ不幸な運命を背負い、暗い沈んだ雰囲気を予想したが、案外、皆明るく朗らかで、「軍医さん、今日は。お手やわらかにネ」など、ごますりも現れる。 |
証言者 | 木村英一 |
証言者属性 | 日本軍兵士・軍医 |
部隊名 | |
資料タイトル | 軍国臨終物語-応召軍医の体験記録- |
著者、公文書発信者など | 木村英一 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1999.3.20 |
発行所 | 私家版 |
ページ | 78-79 |
出典備考 | |
備考 |
現地図に雷州半島のつけねに「遂渓県」がある。テキサス大学図書館公開の中国地図・CHAN-CHIANG(シリーズL500、1954~)に「遂渓」がある。地図のほぼ中央「2-6」にある。現在の地図で同所は「湛江市遂渓県」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・CHAN-CHIANGは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nf49-10.jpg |