出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 広東省 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 広東から40kmの部落 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 私達の連隊本部は、広東から40キロ離れた、田園地帯の中の一部落に駐屯警備していた。広東市内に駐屯する部隊ならば、休日の外出には市内見物も出来たし、慰安所へも行けた。しかし、私達の部隊の休日は、内務班内でごろごろしているか、外出するかのどちらかで、外出することは慰安所に行くことである。語源は定かではないが、古参兵達は慰安所のことをピイ屋と呼び、慰安婦のことをピイと呼んでいた。どこの部隊も同様だったろうが、私達の部隊にも日本、朝鮮、支那の従軍慰安婦達が所属していた。・・・ 古参兵になると、慰安所の混雑を避け、ゆっくり遊ぶため、歩哨の目を盗み無断で外出するようになる。それを兵隊同士の隠語で<放馬する>という。柵から抜け出て、何の束縛もなく悠々と遊び戯れる馬になぞらえてのことだろう。ある日、私は昼中に暑い盛りに放馬し、慰安所へ直行して部屋に飛び込んだ。同時に体中かの汗が一度に吹き出してきた。 |
証言者 | 宮下弘 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | いがみの権太参戦記 |
著者、公文書発信者など | 宮下弘 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1989.9.1 |
発行所 | 私家版(鎌倉市) |
ページ | 126、129-130 |
出典備考 | |
備考 |