証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 その他
現在の地域情報広西チワン族自治区 桂林市
資料にある地域情報潭下鎮の北方。具体的な地名不明。
慰安所があった時期1945年7月
記載内容もう一つは、日本軍が撤退を始めた終戦直前の翌45年7月のことだ。中国軍94軍団が、桂林解放作戦の一環として貴州から攻撃を仕掛けた。霊川県潭下鎮に駐屯していた日本軍の部隊(約1000人)は、北に撤退。途中で16歳前後の女性4人を拉致した。日本人の名前をつけ、日本の軍服を着せて“従軍”させた。女性たちは、昼間は手を後ろに縛られたまま連れマ回された。夜になると逃げられないように素っ裸にされ、宿舎とした空民家の2階に閉じ込められていた。
証言者趙平
証言者属性桂林市歴史研究所顧問
部隊名第11軍
資料タイトル「慰安婦」強制連行 〔史料〕オランダ軍法会議資料×〔ルポ〕私は”日本鬼子”の子
著者、公文書発信者など梶村太一郎、村岡崇光、糟谷廣一郎
公文書宛先
発行日2008.6.6
発行所金曜日
ページ264-265
出典備考糟谷廣一郎「第2部 私は”日本鬼子”の子」
備考 テキサス大学図書館公開の中国地図・KUEI-LIN(シリーズL500、1954~)の桂林北東に「霊川」がある。地図の「3-1」にある。現在の地図では霊川の北西に「潭下鎮」はあるが、この地図には見えず。ここでは「桂林市」でとった。テキサス大学図書館公開の中国地図・KUEI-LINは次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ng49-10.jpg
テキストのコピーはできません。