出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 海南省 海口市 |
資料にある地域情報 | 海南島の海口 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 例えば、犠牲者数について「『海南島における日本の国家犯罪の共同調査』(紀州鉱山の真実を明らかにする会・キム チョンミ 佐藤正人)によれば、日本の防衛研究所図書館が所蔵している『南海警備府戦時日誌』(月刊)や『海南警備府戦時詳報』には海南島で日本軍が殺害した『敵』の数が毎月数百人と記述されている。台湾で日本軍警が殺害した数十万人に近い(あるいはそれ以上)と考えられているが、海南島での犠牲者もそれに近いと思われる」と述べている。・・・ 日本軍は“台湾混成旅団”(二隊の台湾歩兵連隊と一つの砲兵連隊から成る、旅団長は飯田詳二郎少将である)を主戦力として、第5艦隊と数十機の飛行機の支援の下、1939(昭和14)年2月10日払暁3時に「澄邁湾」北東の「澄邁隅」と「瓊山」の「天尾港」に上陸した。・・・日本軍はすぐさま兵力を二つの重点地域に分け、約1万人を海口北部に、7千人あまりを南部の三亜に駐屯させた。・・・ 日本軍は海口の五公祠近くで男性数人と女性1人を捕えた。この女性は容姿が綺麗だったので、日本軍兵士達に強姦された。男性は府城で尋問することになり連行された。1週間で数百人の夫人と子供が拉致され、5階建てのビルに拘留、日本軍兵士達に蹂躙された。日本軍は、通りがかりの洋服を着ている者に出会うと、直ちに銃剣による銃殺が行われた。 |
証言者 | 中尾勝喜 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 嗚呼!氷川丸と海南島 |
著者、公文書発信者など | 中尾勝喜 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2009.2.1 |
発行所 | 文芸社ビジュアルアート |
ページ | 155 |
出典備考 | |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・HAI-K'ANG(シリーズL500、1954~)に「海口」がある。地図の下端中央右寄りにある。現在の地図で同所は「海口市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・HAI-K'ANGは次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nf49-14.jpg ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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