出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 海南省 臨高県 加来鎮 |
資料にある地域情報 | 加来 |
慰安所があった時期 | 1945年初頭 |
記載内容 | 2.加来飛行場の警備 (1)加来は海南島西北部に位置する儋県の北にある小さな村落であったがあ、海軍がこの地に飛行場を設置してから俄かに軍事的価値を帯び出した場所である。・・・ (2)加来における独歩129大隊の任務というのは甚だ奇妙なものであった。それは昭和20年初頭の戦況とも関連し、米軍の上陸、空挺部隊の降下に備え、不時着用飛行場は事前に破壊しておくことが我々の任務であった。・・・自分たちが守ってきた飛行場が、たとえ命令とは言え陸軍部隊の手で破壊されてゆくのは面白くなかったのかも知れない。或いは陸軍と海軍という、明治以来の対抗意識がそうさせたのかも知れない。原因は定かではないが、加来においては我々と海軍との間は何だかしっくり行かなかった。炊事の位置のことで口論があったり、厩の水道のことでも意見の衝突があった。海軍では保健部隊と呼ぶそうであるが、要するに慰安所は、とうとう言を左右にして最後まで共同使用には許可を与えなかった。 |
証言者 | |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 独歩129大隊 |
資料タイトル | 独立混成第23旅団砲兵隊史 |
著者、公文書発信者など | 独立混成第23旅団砲兵隊史編集委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1988.3.10 |
発行所 | 純兵団砲兵隊戦友会(純砲会) |
ページ | 343 |
出典備考 | 証言者は陸軍側。どちらが共同使用を拒否していたのかこのページでははっきりしないが、海軍の飛行場を陸軍が破壊し対立に発展した。海軍側が慰安所(保健部隊)の陸海の共同使用を拒否したのであろうか。 |
備考 |
現在の地図の臨高県に「加来鎮」がある。テキサス大学図書館公開の中国地図・澄邁(シリーズL500、1954~)に「加来」がある。地図の「CM5-8」にある。現在の地図で同所は「臨高県加来鎮」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・澄邁は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ne49-2.jpg |