出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | 海南省 三亜市 |
資料にある地域情報 | 海南島の三亜 |
慰安所があった時期 | 1940年5月頃 |
記載内容 | 道路建設に関して、もう一つ忘れられぬ事件があった。三亜陸戦隊に就任の時、部隊の全士官に挨拶に回った。・・・ところが、ある日突然安住司令に呼ばれた。「住田中尉に毎月給料をいくら払っている」と聞かれた。・・・「実は住田中尉は、ほとんど毎晩海南荘に行って泊っている。女と泊ると一晩少なくとも10円はいる。それに月子の歓心を買うためにかなりのチップを払っている。毎月だいたい200円以上使っている。これはおかしい。羽仁候補生、住田中尉に内地からの送金があるかどうか内密に郵便局に行って調べてくれ」との命令だ。海南荘とは海軍士官用の慰安所である。士官の慰安所には日本人の芸者が来ている。これに対して花屋という兵員用の慰安所があった。花屋は大部分朝鮮の女性である。後から分かったことではあるが、これらの朝鮮の女性は20歳以下で大部分が挺身隊の名目で朝鮮で半強制的に集められ、連れてこられた。したがって、兵員用の慰安所には若くて美人が多い。士官用のは日本人であるが、みんな訪うが薹が立っている。この中で月子は最も若く、背もすらりとして美人である。・・・これまで苦心惨憺聞き出した。これで住田中尉、1日100名使うと10銭のピンハネで10円になる。毎晩豪遊ができるわけだ。 |
証言者 | 羽仁謙三 |
証言者属性 | 日本軍兵士・海軍主計中尉 |
部隊名 | 三亜陸戦隊 |
資料タイトル | 海軍戦記 われ、単艦シンガポール港占領せり |
著者、公文書発信者など | 羽仁謙三 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2001.6.15 |
発行所 | 文芸社 |
ページ | 40-41,48 |
出典備考 | 注:著者略歴に「昭和15年3月海南島海口陸戦隊を経て三亜陸戦隊勤務 昭和15年6月第23駆逐隊勤務。海軍主計中尉」とある。1940年5月頃のことであろう。 |
備考 |
著者略歴に「昭和15年3月海南島海口陸戦隊を経て三亜陸戦隊勤務 昭和15年6月第23駆逐隊勤務。海軍主計中尉」とある。1940年5月頃のことであろう。
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