出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 海南省 三亜市 吉陽区 紅沙 |
資料にある地域情報 | 紅沙 |
慰安所があった時期 | 1943年 |
記載内容 | 原告盧が17歳(1943年)のころ、竹北で旅館を経営していた鍾が、海南島の日本人のやっている食堂が給仕を探していて、台湾で働くよりも給料は高いし、1年だけでもいいと誘われたので、原告盧は海南島に行くことに決めた。・・・高雄へまず連行されたが、そのとき旗山、台北、新竹などの出身の女性を3~40人鍾がつれて行き、高雄で日本人の子供連れの夫婦に代わった。高雄から乗ったのは軍艦で、1週間ほどで海南島の楡林に到着した。楡林で船を下りてトラックと徒歩で紅沙まで行かれた。到着した所には、まだ建物もなかったが、1週間後に通路を挟んで両側に小さな部屋が20~30ある建物が建ってゆき、その1部屋をあてがわれた時、初めて原告盧が連れて行かれた所が食堂ではなく「慰安所」だということを知った。その場所は元墓地で骨が出た。建物は、日本式の宿舎で、板で仕切られ、畳の寝床があった。・・・「慰安所」は日本人夫婦の男が管理しており、この男の額に大きな瘤が一つあり兵隊ではなく、原告盧らはこの男を「ガンリュウー(柑瘤)」「ボス」と呼んでいた。「慰安所」内には30人余りの女性がいて、1人1部屋ずつ押し込まれた。台湾人が殆どで日本人もいたが、互いの付き合いはなかった。 |
証言者 | 盧満妹 |
証言者属性 | 台湾人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 台湾元「慰安婦」損害賠償・謝罪請求事件・訴状 |
著者、公文書発信者など | 原告ら訴訟代理人 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1999.7.14提訴 |
発行所 | |
ページ | 75-77 |
出典備考 | |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・萬寧(シリーズL500、1954~)に「楡林」がある。地図の左端にある。紅沙は見えず。現在の地図で紅沙は楡林の東にあり、現在の「三亜市吉陽区紅沙」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・萬寧は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ne49-6.jpg |