出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 雲南省 保山市 龍陵県 平達郷 |
資料にある地域情報 | 平戞 |
慰安所があった時期 | 1944年7月 |
記載内容 | それにしても、平戞から慰安婦たちを救出したのはどの部隊だったのか久しくわからなかった。ところが元輜重兵第56連隊の小隊長だった、久留米市にお住まいの小川明氏から、同じ連隊の少尉だった石丸高次氏にあたってみるよう助言をいただいた。さっそく、大分市牧1丁目の大丸工業社長石丸高次氏に電話すると、 「私の小隊が慰安婦を救出しました」という返事で、そのときの状況を話していただいた。昭和19年7月の第一次救援作戦のとき、石丸小隊は、人員約40名、支那馬約40頭の編成で参加し、芒市から医薬品や糧秣を平戞守備隊に運んだ。その帰路、負傷兵や慰安婦の輸送を命ぜられた。慰安婦の中に妊婦が1人いたので、この女性だけ馬に乗せて毛布をかけて運び、他は徒歩で従えた。・・・平戞の野戦病院に送った妊婦が無事男児を出産したことは後で聞いた。 |
証言者 | 石丸高次 |
証言者属性 | 日本軍兵士・少尉 |
部隊名 | 平戞守備隊 砲兵隊 輺重兵第56連隊 |
資料タイトル | 生還者たちのビルマ 知られざる戦場の記録 |
著者、公文書発信者など | 大田毅 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1987.8.10 |
発行所 | 葦書房 |
ページ | 305-306 |
出典備考 | 注:太田の所属は西部第51部隊/野砲兵第56連隊留守部隊/244p「平戞守備隊配置図」の中に「慰安所」が記載されている。その位置は平戞街の直ぐ北である。 |
備考 | p244の「平戞守備隊配置図」に「慰安所」の記載あり。 |