記載内容 | 「若春には十八番の歌がありましたよ。朝鮮の歌だったような気がするが。よう歌っておったですわ」第113連隊第1機関銃中隊の早見正則は、後に送られた昆明の捕虜収容所で「若春」の歌を聴いたという。・・・「私が聞いておったのは4,5人ぐらいの将校ですわ。兵隊たちが生きるか死ぬかの戦争の最中に壕の中で女を抱いておった将校がいた。自分は安全な壕の中にいて、兵隊にはお前は西山へ行け、松林へ行けと襲撃を命令する。戦友たちは次々に亡くなっていくのに自分たちはのうのうと女を抱いておる。みんな士官学校出身のエリートたちですよ。兵隊たちの苦労を知らない。それでそういう将校のぶざまな姿に腹を立てた兵隊が『非国民!』と叫んで、いきなりバーン、バーンと将校を射ち殺したんですわ」「そこにいた慰安婦も一緒に殺されたのですか?」「さあ、慰安婦は殺さんかったんじゃないですか。よう分らんが」「早見さんはその場面をみたのですか?」「いや、直接見たわけじゃないが、そういう話は兵隊の間ですぐ伝わるんですわ・・・」・・・「この時、本当に頭の下がることに出会った。それは砲弾と雨の中をかいくぐり、乾麵麭(乾パン)の空缶に入れた将兵のにぎり飯を、2人1組になって黙々と運ぶ朝鮮人慰安婦の姿だった。彼女たちも、いまや守備隊の一員として、身の危険を顧みず将兵の奮闘に力を貸してくれているのである。・・・」 |