出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 雲南省 保山市 龍陵県 松山村 |
資料にある地域情報 | 松山(Sung-shan) |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | キャプション:「松山の壕で中国雲南遠征軍第8軍の砲撃により負傷し、捕虜になった日本女性に応急手当をする(技術第5部隊)マイヤー・エル・ティンズリー(オクラホマ州ヤーナビィ出身)。ここで日本兵は壕を守ろうとして全滅。捕獲した日章旗を広げて見せる二人の中国兵」 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 写真資料 |
著者、公文書発信者など | 連合軍 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1944.9.7 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 米国国立公文書館所蔵 |
備考 | 日本軍兵士・早見正則氏、松下一雄氏の証言により、日本人被害者の「マコト」と呼ばれていた女性と思われる。 |