記載内容 | 見ると、月の光のなかに浮んだ将棋の駒をした立札に、「ラモー会館」と筆太の文字。矢印の方を見た。兵舎を囲んだ木の間がくれの向うに、そこだけ明るく灯影のゆらぐ建物があって、女の声が甲高く何か唄っている。・・・「あれは一体……?」「P屋ですタイ。・・・」「ほお、P屋が……こんな山の中の守備隊にも……」・・・それはどこにでもある慰安所の一つだった。板張りでアンペラを敷いて、寺子屋のように並べた長机のテーブルに、燈油の灯が点々とゆれている。・・・「あんた、シンブンか」と訊いた。前線で腕章をつけているのは報道班員である新聞記者が主だった。腕章には「火ノ玉機関」と書いてあるのだが、女には日本の文字が読めないのだ。あいまいに笑った顔で肯いて、谷は上りはなに腰を下ろした。・・・マリ子は、ちょっとの間、谷の顔を直視していた。が、やがて、ぽつりといった。「わたしたちの仲間は、半分はお金のためです。あとの半分は騙されて慰安婦になりました」「日本の軍隊に、か」「そうです。……わたしも騙されたほうの一人です。師団司令部に国防婦人会を監督したり指導する兵務部というのがあるでしょう。前線に特志看護部が足りないといって募集しました。男には陸軍特別志願兵制度があります。私たちの国で若い女子が、男子に負けず天皇陛下のために出来る最上のご奉公は、特志看護婦になることだといわれて、わたしも応募しました。集った人たちは、軍歌と日ノ丸の旗で婦人会に送られ、釜山から輸送船に乗せられました。・・・それでもまだそのときは、本当にわたしたちは前線に出て、白衣の特志看護婦になるんだとばかり信じていました。ラングーンに上陸して、兵站宿舎に入れられましたが、10日ばかりのうちに5人、10人とわたしたちの仲間は少しずつ前後して兵站宿舎からどこかに連れて行かれたのです。……野戦病院に配属されるものと誰もが考えていましたが、わたしが他の2人といっしょに連れて行かれたのは、ラングーンの北の郊外にある飛行場に近いインセンの慰安所でした……」 |