出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 雲南省 保山市 騰衝市 騰越鎮 |
資料にある地域情報 | 騰越 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 騰越に入城したのは第56師団歩兵第148連隊、連隊長は蔵重康美大佐であった。配属された従軍慰安婦は約60名であった。ここで“約”とつけたのは、軍人と名のつく者は二等兵まで今も記録に残されているのに、彼女らについての記録はメモ1枚もないためである。生存者の記憶によったためである。・・・9月11日。蔵重大佐にかわり指揮官となった太田正人大尉は、いよいよ軍旗を焼き全員で最後の突撃を敢行することを決意し、その日時を翌12日ときめた。そして全従軍慰安婦を集め、「お前たちは軍人であるわれわれと生死をともにする必要はない。白旗を掲げ投降してもらうことにした。女性であるから非道な扱いはしないだろうし、少なくとも生命は保障される」と告げた。・・・このとき、日本人従軍慰安婦たちは、さらに朝鮮人慰安婦を集め、「あなたたちは投降して、夜になったら」そう告げている。・・・ 残りの日本人従軍慰安婦たちは、その夜、朝鮮人従軍慰安婦をすべて投降させてから太田大尉の玉砕突撃に加わり、一人も生きて帰らなかった。・・・その昆明捕虜収容所で彼女らにめぐりあったとき、日本兵を見る氷のような眼に身のすくむ思いがしたとも語っておられたが、日本人従軍慰安婦に助けられたものの、日本への怨念はどこまでいっても消しがたかったのだろう。昭和20年8月下旬、彼女らは、はるばる昆明まで迎えにきた金日成将軍(現首相)の使者の手で祖国へ帰っていったという。 |
証言者 | 吉野孝公 |
証言者属性 | 騰越守備隊生き残り |
部隊名 | 第56師団歩兵第148連隊 |
資料タイトル | オンナたちの慟哭 戦争と女性哀話 |
著者、公文書発信者など | 千田夏光 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1981.3.10 |
発行所 | 汐文社 |
ページ | 56-60 |
出典備考 | |
備考 | 騰越の位置。アジア歴史資料センター:C14060434300、C14060404100の作戦要図には騰越を含む周辺の地名が記載されているが、それらを現在の地図と比較すると、旧・騰越は現在の「騰衝市」であることがわかる。騰越は現在の騰衝市である。現在の地図の騰衝市に「騰越鎮」がある。 |