出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 雲南省 保山市 騰衝市 |
資料にある地域情報 | 騰越(城外) |
慰安所があった時期 | 1943年12月 |
記載内容 | 早見正則は、騰越には30名ほど「慰安婦」がおり、城内には「のぶ子」「花子」「梅子」「竹子」「松子」「ひろ子」などという名前がつけられた朝鮮人「慰安婦」が14,15名ほど、さらに城外の慰安所には「音丸」「明美」などの朝鮮人「慰安婦」が8名ほどいたという早見が騰越にいたのは1943年12月から3ヵ月ほどのことで、これらの女性たちが最後まで騰越にいたのかどうかは分らない。慰安所は民家を改造して小さな部屋に区切ってありました。城内の慰安所の管理人は朝鮮人の夫婦で、男の子がいましたよ。兵隊たちは外出証とサック2個を軍曹から配ってもらって慰安所に行きました。料金は受付で管理人の『ママ』に支払うのです。私は18歳ぐらいの『はな子』さんを馴染みにしていましたが、確か京城の出身だと言っていましたね。昆明の捕虜収容所で一緒になりましたから、彼女は生きて帰ったはずです。 |
証言者 | 早見正則 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 騰越守備隊 |
資料タイトル | 戦場の「慰安婦」-拉孟全滅を生き延びた朴永心の軌跡 |
著者、公文書発信者など | 西野瑠美子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2003.12.25 |
発行所 | 明石書店 |
ページ | 155-156 |
出典備考 | |
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