証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報雲南省 保山市 騰衝市
資料にある地域情報騰越
慰安所があった時期1943年
記載内容この頃、騰越でも激戦が繰り広げられていた。騰越城内に引き返した吉野は、そこに惨烈をきわめた戦場を見た。城内の家屋はほとんど元の姿をとどめていなかった。樹木の焼け焦げた臭いがあたりにたちこめる。そのなかに兵士と混ざって、鉄カブト、軍服姿の朝鮮人慰安婦の姿があった。「2,30名いましたよ。負傷した兵士の手当てをしたり、炊きだしをしたりしておった。私が最初騰越にいった昭和17年にはまだそこには慰安所はありませんでしたが、たしか18年に行ったときにはもうありましたね。最初そこにおったのは、朝鮮人慰安婦でしたが、2回めは、台湾人慰安婦に変わっとりました。3回めにまた、朝鮮人慰安婦になっとりましたよ。その女性たちです、最後に兵士たちと一緒になって騰越を守っていたのは」・・・
太田大尉は軍旗を「奉焼」し、敵中に自ら斬り込んでいく前、生き残った将兵に、騰越部隊の最期を芒市の師団に報告するよう言い残した。それが、太田大尉の最後だった。125日の孤闘は、3千有余の戦死者をだして幕を下ろした。その頃、城内部隊の救出をせんと待機していた吉野らの前に、脱出隊の後を追うようにして、鉄カブトと軍服を身にまとった女性の一団が現われた。「その女たちを見てハッとしました。数日前に握り飯を届けてくれた朝鮮人慰安婦たちだった。2,30名はいたんじゃないでしょうか。・・・芒市を目指して、われわれはジャングルのなかをさまよった。・・・敵の目をかいくぐって、裏山を裏山をと進みました。慰安婦たちとは、あの直後に迫撃砲弾が炸裂しバラバラになり、気がついたときには、たった6人になっておりました。・・・」
証言者吉野孝公
証言者属性日本軍兵士
部隊名騰越守備隊
資料タイトル従軍慰安婦と十五年戦争 ビルマ慰安所経営者の証言
著者、公文書発信者など西野留美子
公文書宛先
発行日1993.5.30
発行所明石書店
ページ20-23
出典備考
備考
テキストのコピーはできません。