出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 雲南省 保山市 騰衝市 |
資料にある地域情報 | 騰越 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 保山は中国軍の戦斗司令所のある街であった。・・・私達は輸送車を降りて、街外れの大きな民家に入った。ところが、こゝで、計らずも意外な人達に巡りあった。それは脱出の折、闇の中で別れた朝鮮慰安婦の人達であった。24,5名はいたようであった。その中には日本人慰安婦も4,5名いた。彼女達は、私達の姿を見ると駆け寄ってきて、茶やタバコを接待してくれた。その中にマダムもいた。彼女は小声で、「貴方達は騰越の兵隊さん達でしょう。」と懐かしげに囁いてタバコに火をつけてだした。・・・ |
証言者 | 吉野孝公 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 騰越玉砕記 |
著者、公文書発信者など | 吉野孝公 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1979.8.15 |
発行所 | 私家版(久留米市) |
ページ | 116 |
出典備考 | 注:騰越の「慰安婦」と保山の収容所で再会した。千田夏光の取材(a-3184)には騰越で見かけた慰安婦だとは答えていない。品野実(『異域の鬼』a-3182)は騰越ではなく垃孟組としているが、西野瑠美子は、米軍資料、昆明の尋問記録からマダムは「黄南淑」であり、騰越にいたとしている。a-3189参照のこと。 |
備考 |