記載内容 | 新関支店長は「日本の軍司令部から見れば、一番偉いのが軍人、その次が司政官、軍属、軍馬、軍犬、伝書鳩、はるかに下ってインドネシア王族、その下が芸者、慰安婦、そして最後がわれわれ桜組さ」と冗談めかしていたが、まさに軍部のわれわれに対する取り扱いは、そのような感じであった。われわれ企業の駐在員をはじめ民間人が、胸に桜花の記章をつけて行動することを軍から義務づけられ軍専用の慰安所、娯楽所へ出入することを厳禁されていた。・・・しかし民間人の中にもヘソ曲がりがいて、桜花の記章をはずして平服のまま軍人専用の慰安所や料理屋へ堂々と入りこんだりしていた。民間人の方が金ばなれがいいので、慰安所も料理屋も、軍人でないと知っていて、迎え入れたのだろう。・・・ジャカルタ市の目抜き通りに軍は大施設のキャバレー「ジャワ会館」を持っていた。ジャワは南方軍の兵站基地であると同時に休養基地であったから、このキャバレーにはニューギニヤなどの南方戦線で闘ってきた兵士たちが「命の洗濯」と称して、よく繰りこんできた。命を的に闘ってきた兵士だけに、酒が入ると、手がつけられないほど荒れた。皇軍兵士と思えないほど、荒くれ者が少なくなかった。いっぽうわれわれ民間人用の娯楽施設としては「黒猫」というキャバレーがあった。・・・軍、民どちらのホステスも、インドネシア人とオランダ人の混血女性が多かったが、連合国軍の諜報機関はこれらのホステスを対日情報収集のスパイに使っていた。 |