証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報ジャカルタ首都特別州
資料にある地域情報レスウヰツク街
慰安所があった時期1943年3月
記載内容レスウヰツク街のハルモニイという家へビールを飲みに行く。大きな円柱をつらね大理石の床の豪広なる建物、海軍将校倶楽部になっているなり。・・・feminin(*44)を見に行こうと例の将校倶楽部へ行く。町外れのようなところ。大通りを風を切ってペチャ大いに快走す。爽快なり。フリ(*45)では愛想をせぬらしく仲々よりつかず。間もなく、下らぬ面をしたやつ3人が来る。馬鹿馬鹿しくなり、禿頭に10円やって出る。こんなものよりIndonesiaのほうがよっぽどましだとそこへ行く。・・・間もなくテラッスに椅子とテーブルを置き、色のついた電灯をさげたテラッスのある家がつづくそれと知られる一画へ来る。昼、自働車の散歩のとき鉄条網を張り、軍人軍属立入禁止と立札をした一画のよし。しかし、俺は、このときなんの痛痒も感ぜず。1軒ずつ段々に見てゆく。45軒目に身体つきのいい、さほどいやげでない女を1人見つける。おれ、これをとることにする。(略)部屋へ入ったが一語も言葉通ぜす、何かしきりに云うが応待うるさし。・・・Condom(*46)代として1円とられる。名はKawiiという美しき体格なり。
証言者久生十蘭
証言者属性
部隊名海軍報道班員
資料タイトル久生十蘭「従軍日記」
著者、公文書発信者など久生十蘭
公文書宛先
発行日2007.10.4
発行所講談社
ページ56-60
出典備考著者経歴に「1943年、海軍報道班員としてジャワなど現在のインドネシア共和国方面に派遣される」とある。レスウヰツク街不明。
備考
テキストのコピーはできません。