出典種別 | 被害証言
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現在の地域情報 | 西ジャワ州 スカブミ県 ワルンキヤラ村 |
資料にある地域情報 | ワルンキヤラ |
慰安所があった時期 | 1942年 |
記載内容 | ワルンキヤラ村にオランダ人の古い建物があった。オランダ人がいなくなってからは、村の人々が納屋として使っていた。日本軍が入ってきたのはいつのことであったか、ウイダニィンシさんは覚えていない(彼女の証言から推計すると1942年となろうか)。家から歩いて30分くらいのところにあったその古い建物は、日本軍に接収され兵舎になった。・・・日本軍がワルンキヤラ村に来て、3か月くらい過ぎた頃だ。・・・ひとりで留守番をしていると、6人の日本兵が家に来て、いった。「看護婦として働かないか」・・・6人の日本兵に取り囲まれたウイダニィンシさんは、蛇に睨まれた蛙のように射すくめられ、日本兵らのなすがままに従ったのである。・・・着いたのは、あのオランダ時代からあった古い建物だった。・・・仕事は看護婦の仕事ではなかった。翌日も、そして、それからほぼ毎日その古い建物にやってくる日本兵に犯された。 |
証言者 | ウイダニィンシ |
証言者属性 | インドネシア人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | インドネシアの「慰安婦」 |
著者、公文書発信者など | 川田文子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1997.5.31 |
発行所 | 明石書店 |
ページ | 85-88 |
出典備考 | 1942年頃(川田の推計)。少女たちの人数の合計は明記されず。記述から確認できるのは7人。性病検査は週に1度。食事は当番兵が運ぶ。階級別の利用時間と料金が定められていた様子も兵士が料金を払っていた様子もない。報酬なし。証言者の拘束地は自宅。その家の場所は明記されないが、拘束先の建物を見知っていたことから、ワルンキヤラ村かその周辺か?就職詐欺および暴力による連行。ワルンキヤラ駐屯を始めて約3ヵ月後。 |
備考 |
TJIBADAK5万分の1の地図にスカブミの西方に「Waroengkiara」がある。チマングの西である。現在の地図のスカブミの西方、チマングの更に西にワルンキヤラWarungkiaraがある。
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