出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 西ジャワ州 スカブミ |
資料にある地域情報 | スカブミのスラバトゥ・ホテルの使用人の住居 |
慰安所があった時期 | 1942年 |
記載内容 | 当時、アロットさんは、スラバトゥから約7キロ離れた北スカブミの茶のプランテーションで働く農業労働者の寮に住んでいた。父はその寮の門番、母は料理人であった。・・・1942年、アロットさんは18歳だった。日本兵が来て、「この娘を縫い子として働かせてはどうか」と両親にいった。両親は日本人を恐れて「手元においておきたい」といったが、聞き入れられなかった。そして、日本軍駐屯地近くの、スラバトゥ・ホテルの使用人の部屋として使われていた建物に連れてこられた。その建物が慰安所になっていたのである。その慰安所には大勢の女性が入れられていた。数えたことはなかったが、40人くらいだったろうか。 |
証言者 | アロット |
証言者属性 | インドネシア人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | インドネシアの「慰安婦」 |
著者、公文書発信者など | 川田文子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1997.5.31 |
発行所 | 明石書店 |
ページ | 55-58 |
出典備考 | |
備考 | スラバトゥ不明。但し現在の地図の線路の北側一画にセラバトゥSelabatuがある。ここがスラバトゥであろうか。 |