記載内容 | エマ・カスティマさんが、シンパン通りの慰安所に連れてこられた時には、すでにエミィさんはそこにいた。外出した帰り、少しインドネシア語ができる軍服軍帽の男が路上で声をかけてきた。・・・「いい仕事があるんだけど、やってみないか」だまってうつむいているエマさんに、業を煮やして「両親を呼んでこい」と、命じた。・・・エマさんは日本軍が怖かったので、係わりあいたくなかったが、家族に危害が及ぶことを恐れて、その日本兵に従ったのである。・・・エマさんによれば、兵隊たちはトランプほどの大きさの切符と、衛生サックを持って部屋に入ってきた。女性たちは、その切符を受けとり、兵隊の「慰安」が終わると、受付に行って管理人に渡すのだ。その切符の枚数で1日の仕事量が記録されたのである。・・・両親は、エマさんが慰安所にいることを知らなかったのだが、シンパン通りの慰安所で働いているらしいという噂を聞いて、衝撃のあまり寝込んでしまったのだ。家に帰ると、母は、エマさんを抱きかかえて泣きくずれた。「おかあさん、しっかりして。これは私の運命なの、仕方ないの。ほかにどうすることもできなんだから、運命として受け入れるほかないの」 |