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資料の詳細

出典種別 被害証言
現在の地域情報中部ジャワ州 スマラン
資料にある地域情報ジャワ島 スマランのカナリーランド
慰安所があった時期1944年
記載内容オランダの植民地インドネシアのジャワ州スマラン市近郊の製糖農園でオランダ人の両親と5人の兄弟と沢山の奉公人たちにかこまれた少女時代を過ごしました。1942年3月、日本軍がジャワ島に侵攻。私は19歳で教員養成大学の最終学年でした。占領した日本軍はオタンダ人を不潔で不衛生な古い兵舎の抑留所にいれました。1944年2月、抑留所に日本軍がきて、17-28歳の女性を広場に整列させ「慰安婦」にする女性を選別。私をふくむ16人がスマランのカナリーランドにある「七海亭」に連れて行かれました。一人一人ベットルームに連れて行かれ、私はテーブルの下に隠れましたが軍刀をつきつけられ強かんされました。翌日から日本兵が列を作ってやってきました。2ヵ月ほどして慰安所が突然閉鎖され抑留所に移送されました。慰安所の事は絶対に話してはいけない、話したら家族ともども殺すと脅かされました。他の人から「日本の売春婦」とよばれ辛い思いをしました。
証言者ジャン・ラフ=オハーン
証言者属性オランダ系被害者
部隊名
資料タイトル第13回特別展カタログ 「『アジア解放』の美名のもとに インドネシア・日本軍占領下での性暴力」
著者、公文書発信者などアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
公文書宛先
発行日2016.12
発行所アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
ページ21
出典備考
備考 現在の地図の中部ジャワの北海岸にスマランSemarangがある。ジャン・ラフ=オハーンはアンバラワの収容所からスマラン市内に連行された。『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』には「チャンディ地区のヒューフェル・テレイン〔丘陵地〕を通り抜け」た後、「トラックは速度を落とし、オランダ・コロニアル様式の館の屋敷道に入って」いったと記している。ここがスマラン娼館である。『Geïllustreerde Atlas van de Japanse Kampen in Nederlands-Indie 1942-1945』(Asia Maior)の134pのSEMARANGの当時の地図に「OUD TJANDI」と「NIEUW TJANDI」がある。前者は古いTJANDIで、その付近にTjandiの町がある。一方で後者の「NIEUW TJANDI」は新しいTJANDIで、「OUD TJANDI」の西方にある。この地図の「NIEUW TJANDI」には「Kialan」という地名がみえる。さて、『ジャンの物語』に記されたチャンディ地区とはこのTJANDIのことであろう。証言者はカナリーランドと記しているが、他の証言には「カナリーラン」というものもある。カナリーランドやカナリーランはKialanのことであろうか。
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