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資料の詳細

出典種別 被害証言
現在の地域情報中部ジャワ州 スマラン
資料にある地域情報ジャワ島 スマラン
慰安所があった時期1944年
記載内容1942年春、雑貨商を営む両親と弟妹の5人家族でジャワ島東部ジェンベルに住み、私は高校卒業したての19歳のときに、私たちはスマランのハルマヘイラ収容所に収容されました。3000人近い女性や子どもが抑留されていました。1944年1月、収容所の若い女性のうち、私を含む15人がスマランの将校用のクラブに連行されました。病院などで働くと聞かされたのに彼らに性的な満足を与えることを強制されました。2月に慰安所がオープンするとたくさんの軍人がきました。普段は1日2-3人の将校らしい軍人が相手でしたが、日曜日は「兵隊の日」で、別な場所にある大きな建物に連れて行かれ、大勢の兵隊の餌食になりました。3ヵ月がたち突然解放されて、コタパリス収容所にいれられた後に、インドネシア軍に再収容され解放は1946年の9月でした。
証言者エレン・コリー・ファン・デル・プルフ
証言者属性オランダ系被害者
部隊名
資料タイトル第13回特別展カタログ 「『アジア解放』の美名のもとに インドネシア・日本軍占領下での性暴力」
著者、公文書発信者などアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
公文書宛先
発行日2016.12
発行所アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
ページ22
出典備考
備考 現在の地図の中部ジャワの北海岸にスマランSemarangがある。
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