出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | スマランのチャンデー・バルー |
慰安所があった時期 | 未記載 |
記載内容 | 戦勝気分というか驕りというか、軍はスマランで大変なことをやってしまった。オランダ人の男子はジャティンガレ抑留所に入れ、婦女子はチャンデ・ラマの坂の下、ランペルサレの一画の民家に分散隔離して一般人の立入禁止区域としていた。その後、婦女子は戦前にあった高橋農園(バンドンガン、アンプルガーデン)の更に奥、スモオノ(開戦時在留邦人が豪州に送られる前一時収容された元蘭印軍実弾射撃場兵舎)に移された。一度長官のお供で視察に行ったが、女、女ばかりでムンムンする雰囲気で目をそむけるものがあった。そこに集められている女性や東部ジャワ方面からもどのような甘言で誘い出して連れて来たのかチャンデ―・バルーに将校用慰安所が出来た。オランダ女性ばかり集めた慰安所である。オープンの日にどんなものかと見に出かけた。入ってみて驚ろいた。ニコニコして将校とビールを飲んでいる年増、部屋の中でワンワン泣いている若い女、一番驚いたのは裏庭の木に登って気が狂ったようにわめき泣き叫んでいる女、これを見た時は興味半分で出かけて来た気分も萎え、早そうに引揚げ、二度と足を踏み入れなかった。その後、どうなったか知らぬが、この慰安所の設営に関係した人達は戦犯として処刑された聞いた。なんと無茶なことをしたことであろうか・・・ |
証言者 | 日比野秀夫 |
証言者属性 | スマラン州庁 |
部隊名 | |
資料タイトル | 南方に生きる男 |
著者、公文書発信者など | 日比野秀夫 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1996.4.9 |
発行所 | 私家版 |
ページ | 99-100 |
出典備考 | |
備考 |
『Geïllustreerde Atlas van de Japanse Kampen in Nederlands-Indie 1942-1945』(Asia Maior)の144pの地図に「H」を付した位置をSoemowonoとしている。オランダの施設があった。AMBARAWA5万分の1の地図のアンバラワの西北方にスモオノSoemowonoがある。ただ日比野はスモオノの収容所に女性たちが移されたというが、ここに慰安所があったと述べてはいない。日比野は、このような収容所から女性たちを甘い言葉で誘い出て、慰安所をチャンデ―・バルーに開設させたというのだ。将校用の慰安所である。さて、チャンデ―・バルーは地名のようだが、どこにあったのであろうか。この地図のスモオノ付近にも「Tjandi」がある。チャンデ―・バルーの慰安所とはこの付近であろうか。また冒頭の資料の134pのスマランの地図にも「OUD TJANDI」と「NIEUW TJANDI」がある。前者は古いチャンディ―で、後者が新しいチャンディ―である。もし証言のチャンデー・バルーが新しいチャンデーという意味なら、134pの地図の「NIEUW TJANDI」かもしれない。 なお、現在の地図の同所にもスモオノSumowonoがある。AMBARAWAの地図は次のとおり。http://chiri.es.tohoku.ac.jp/~gaihozu/viewer/index.php?ghzno=TH008268 |