出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | スマラン |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | 問 慰安所に入れられたる経緯を詳細に述べよ。 44年2月23日「ハルマヘラ」キャンプに6名の日本人が来た。此の中3名は制服、3名は私服を着ていたが、私服の日本人は後に古谷(「スマランクラブ」主)、森本(「日の丸」主)、下田(双葉荘主)と云ふことが判った。・・・私は不安だったが2月26日になると又3名だったか何名だったかの日本人が又来たが、この中に古谷と森本がいたことは確実である。11名の婦人が呼び出されたが、数名は病気だったので8名だけが並び、1名の制服を来[着]た日本人が之を名簿を片手に点検した。8名とは次の者達であった。・・・それからその日本人は30分以内に出発の準備をせよと云った。・・・其の日の中に我々は「カナリーラーン」の1軒の大きな建物に連れて行かれた。我々は此処に着いた第1番の組であった。その日の中に「アンバラワ」から15~16名の婦女子が我々と同じやうに行先も知らされずに連れてこられた。それから「グダンガン」の「キャンプ」からも1組到着したが後から聞いたところでは、之は慰安所を自ら志願して来た人々の1団であった。私は此処につくと同時に病気になった。頭痛がひどく吐いた。それと同時に喘息の発作も起きた。その晩6時頃病気中他の強制された9人及5名の志望者の人と共に「スマラン」の「ブラカン・クボン」の「日の丸」慰安所に連れて行かれた。・・・ 問 各慰安所名及経営主如何? 1.「スマラン クラブ」古谷 旧「ホテル スプレンデッド」 2.日の丸 森本 旧支那人旅館(ホテルパビリオンの裏) 3.双葉荘 下谷(チャンンデー地名) 4.昭和クラブ 不明 不明 |
証言者 | E.L(22歳) |
証言者属性 | オランダ人被害者 |
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資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/証言 被害者E.L(22歳) |
著者、公文書発信者など | |
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出典備考 | 国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_079/106-282~284 333b/R/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日 |
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