出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | スマラン |
慰安所があった時期 | 1944年3月 |
記載内容 | 問 本強制売淫事件の責任者たる日本人は誰と思ふか? 私の考へでは岡田だと思ふ。我々が「カナリーラン」に集められ、其処から各慰安所に分けられたが、その時彼は指揮をとった。他の日本人は明らかに彼の指揮下にあり、彼にペコペコしていた。彼の第一番の協力者の1人は中島軍医であった。・・・ 問 慰安所に入れられし経過を詳細に述べよ? 44年2月22日か23日頃、我々の「アンバラワ」キャンプ(6番)へ7~8名の私服を着た日本人が来たが此の中には確かに石田が居た。この石田は将校で後にv.d.S夫人に、此のやうな行為は岡田に強制されてやるので、初めは拒んだが、岡田にやらされたのだと語った。・・・2月26日になると蔦木、石田、他のもう1人(仇名「虎」)及び「アンバラワ」のもう一つの「キャンプ」長が来て、私と妹を含む10名を呼び出したが2名は病気の為来なかった。・・・我々は「アンバラワ」の他の「キャンプ」(複数)で12名を乗せた後、「カナリーラン」のとある建物に連れて行かれた。其処で1名の日本人が日本語で書いた書類を読み、それに我々は記入署名をさせられた。然しその内容は何も知らされなかった。それから岡田の命令で市中の各慰安所に分けられた。次の者は「将校クラブ」へいれられた。・・・やがて9時頃になると岡田が何か合図をし日本人1人に婦人1名を指摘した。我々は1人1人各自の部屋に無理に連れて行かれた。私の部室に来たのは藤本であったが私が出来るだけ彼から身を護った。私は彼を蹴ったり、殴ったり、長いこと抵抗したが、終に疲れ切って、彼に暴力を以て処女を奪はれて終った。 |
証言者 | M.H.E.R(25歳) |
証言者属性 | オランダ人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/証言 被害者M.H.E.R(25歳) |
著者、公文書発信者など | |
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出典備考 | 国立公文書館蔵蔵/wam公文書サイト:J_J_080/106-285~287 333a/R/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日 |
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