出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | スマラン |
慰安所があった時期 | 1944年3月 |
記載内容 | 7.本慰安所事件に就き更に知れるところ如何?又貴下は之に如何に関与せしや? 「44年2月20日頃、始めて「キャンプ」から出した婦人を以てする慰安所開設の噂を聞きたり。但し之を誰から聞きたるや、能崎、池田、或は岡田なりしや否やは余は知らず。余は能崎、池田、岡田其の他が集まりて、慰安所の件につき談合せる席に出席したることなし。欧州人婦人が「キャンプ」から出される以前には余は「スマラン・クラブ」及「日の丸」の2慰安所の衛生監督を行ひいたり。欧州人婦女が来てからは「スマラン・クラブ」(経営者古屋)のみ衛生監督を行ひたり。当時宮地医師が「日の丸」「青雲荘」又中島軍医が「将校クラブ」と夫々衛生業務を担当せり。この分担を定めたるは余に非ずして能崎少将、池田或は岡田に違ひなし。・・・之等の婦女が意志に反して「キャンプ」から出され、売淫を強制せられたりと云ふことを判然と聞きたることはなし。然し「青雲荘」(経営者下田)の1欧州人婦人が若干気が狂ひたるを以て之に手当を加へたることあり。之は同慰安所が未だ一般に公開される前の出来事なりき。宮地が本来この慰安所の担当なりしも、下田は余に電話をかけて来りたり。この時余は此の婦人は若干自己の意志に反して慰安所に入れられたるを以て病気になりたるとの印象を受けたり。依って余はこの婦人に対し再び「キャンプ」に帰るべく命令を与へたり。 |
証言者 | 村上類蔵 |
証言者属性 | 軍医少佐(59歳) |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 69号事件/本人尋問 被告村上類蔵軍医 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1947.9.10 |
発行所 | |
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出典備考 | 国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_038/069-174~176/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日 |
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