出典種別 | 公文書・軍関係資料等
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現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | ジャワ島スマラン |
慰安所があった時期 | 1944年2月 |
記載内容 | 2月26日には私は「バス」にのせられた。その中には既に「アンバラワ」の他の「キャンプ」から来た8~9名の娘がのせられていた。それから「スマラン」市内のある大きな建物に連れて行かれたが、其処には既に多くの「キャンプ」から来た約40名の婦人が集められていた。其処で我々は、後で知ったが岡田の云ふ1少佐に依り分けられ、私は8名の組に入れられ約1時間後には「スマラン」の「将校クラブ」へ連れて行かれた。そこで蔦木から夫々一部屋へ入れられた。将校「クラブ」へ連行せらるゝ前にも我々は日本語が印刷された紙が署名をする□に出された。何が書いてあるのか我々は判らないのだ。訊ねると「署名さへすれば良いのだ」とガミガミ云はれた。後で聞いたところでは之は我々が慰安所で働くと云ふ「自由意志宣誓書」であったさうである。2月29日の朝岡田少佐、中島軍医と1通訳が現れて皆を集め、皆は日本人の慰安婦となる為に「スマラン」に連れて来られたのであるが、不服の者は立せと云はれた。8名の中私を含め5名が立った。岡田は我々に不服でも強制する。我々の両親は監禁し、飢えさせ、海の中へ放り込むと云ふた。それでも我々は拒んだので、各人の部屋に閉込まれた。中島は此の時は何も云はなかった。その日の中にその通訳は3回も来て、岡田の云ふた前の脅迫を3回も繰返した。1時間後に我々は出された。その日又我々は中島軍医に依って身体検査をされたが、之は完全に公正に行はれた。その晩将校「クラブ」は岡田が主催する会食を以て開所された。 |
証言者 | L.F(24歳) |
証言者属性 | オランダ人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/証言 被害者L.F(24歳) |
著者、公文書発信者など | |
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出典備考 | 国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_083/106-290~291 10542/R/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日 |
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