証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 公文書・軍関係資料等
現在の地域情報中部ジャワ州 スマラン
資料にある地域情報スマラン
慰安所があった時期1944年
記載内容問 貴下は日本時代何処にて働きありしや?
「日本占領時代私は「スマラン」のGenielaan11番地に住んでいた。或る日のこと(若し間違ひなくば1943年11月初め)私は次の日本人の訪問を受けた。「村上」(憲兵隊)、「ワタナベ」(警察)、「フリヤ」(Blakonにあった慰安所「クラブ」と「イノマル」の経営者)及び「ムラガニ」軍医大佐。彼等は私に慰安所の女達の面倒をみ、又妊娠のあった場合はその世話をして貰へないかどうかと訊ねた。彼等はその条件として月給20盾をくれ、又抑留所入りを免除してくれるとのことであった。それで私は直ぐ此の仕事を引受け日本軍の降伏迄続けた。
問 何時何所で伊藤軍医を知りたりや?
「昔のSplendidホテルで当時「クラブ」(日本の慰安所)で知り合ったのであるが、何時のことであったのか確実なことは云へない。・・・
問 然らば、伊藤軍医と「ムラガニ」軍医に関し貴下の知りあるところ如何?
「記述の如く私は当時Genielaan11番地に住んでいた。此の家は当時日本の慰安所になっていた Splendidホテルの前にあった。私の記憶に間違ひがなければ之は1944年のことであるが、或日のこと(日付は忘れた)2台の「バス」が Splendidホテルの前に停まった。その時私は呼ばれて行ったが、此の「バス」には欧州人の婦人と数名の子供が乗せられていた。婦人達は一列にならばされ交代で検査室へ入っていかねばならなかった。
証言者W.M.E.P.V夫人
証言者属性助産婦(36歳)
部隊名
資料タイトルBC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/証言 助産婦W.M.E.P.V夫人(36歳)
著者、公文書発信者など
公文書宛先
発行日1948.5.14
発行所
ページ
出典備考国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_100/106-317~318 2384a/R/
備考 証言者が当時住んでいたのはGenielaan11番地。慰安所とされていたスプレンデッドホテルはこのGenielaanにあった。Genielaanの位置不明。また古谷が経営していた慰安所(スマランクラブと日の丸)のあった地名Blakonの位置も不明。
テキストのコピーはできません。