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資料の詳細

出典種別 公文書・軍関係資料等
現在の地域情報中部ジャワ州 スマラン
資料にある地域情報ジャワ島スマラン
慰安所があった時期1944年3月
記載内容44年2、3月頃「ハルマヘラ」キャンプに行きたる時、1名の老婦人より娘が数週間前強制的に「キャンプ」から連れ出され、酒場にて仕事をさせられありとて非常に心痛の様を打明けられ、援助を求められたるも、当時、抑留所は未だ軍の手に非ず、近く軍の手に委譲せられたならば出来得る限りの調査援助を約したり。然し当時「スマラン」にては之等抑留所よりの婦女を以て市内に慰安所が開設せられありしことを余は他日本人より聞きありたるを以て、本件を吉田大尉、長谷川中尉と協議の結果、吉田大尉は電話にて「バタビヤ」本所に報告すると共に之が閉鎖方に努力せり。而るに之等慰安所は司令部の許可を以て、開設せられありしを以て、我々の努力も本所を通し行ふのみにて意の如く進捗せざりしが、丁度当時東京より小田島大佐が「ジャワ」の各「キャンプ」を巡視に来り、余も之に随行して中部「ジャワ」各「キャンプ」を廻れり。丁度「ハルマヘラ」キャンプに行きたる際、余は抑留者の所長に、先日の1老婦人の依頼は万全を務しいるも、□□単純なる問題にあらず。而るに今や小田島大佐の巡視せるあり。此の好機逸すべからずと告げ直ちに先日の老婦人を伴ひ来たりて、直接小田島大佐に請願せしも、余も傍より種々助言を与へたり。小田島も同婦人に種々質問を発し、之が端緒となりて、彼は軍幕僚長に電話をかけ、更に幹候隊長にて電話にて叱責を行ひたるも、それから後数日にして長谷川は「バタビヤ」より閉鎖命令の受領となれり。本件の責任者は私見に依れば次の如し。1.能崎少将:幹候隊長として。2.池田大佐:起案者、宣伝者として、又婦女の抽出の為州長官宮野と交渉す。之は警察の職員より聞きたり。3.岡田少佐:池田大佐の不在間、代理者として屢々その名を耳にしたり。4.16軍司令部は開設許可を付与せり。宮野長官は本件の起案に責任なしと思料す。
証言者近藤周一
証言者属性日本軍軍医中尉
部隊名
資料タイトルBC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/本人尋問 K日本軍軍医中尉
著者、公文書発信者など
公文書宛先
発行日1946.10.25
発行所
ページ
出典備考国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_104/106-323 13027/R/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日
備考
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