出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | ジャワ島 スマラン |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 彼曰く「スマラン軍慰安所に関係せるは右□を設立後なり。」又曰く「婦人の奴めて収容せられたる現場には立寄ひあらず。日本側及ジャワに於ける和蘭人側の之に関する証言は誤なり」中島の主張は当時スマランに於ける4ヶ所の軍慰安所の一たる将校倶楽部の衛生指導者たるに過ぎず。此の任務は命令に依り開設の日より実施せり。開設当日7人の将校よりなる会食あり。中島の記憶に依れば、岡田少佐、タケイチ大尉、石田大尉、川村少佐、藤本中尉(和蘭側より指名なし)、小橋(当時高橋少佐は既にスマランになしと中島主張するも小橋は高橋と同一人に非ずや)、及び中島自身の7名なり。 |
証言者 | 中島四郎 |
証言者属性 | 第6被告、軍医 |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 69号事件/中島四郎 訊問の概要 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1947.1.24 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_060 |
備考 |