出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | ジャワ島 スマラン |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | 余は1944年2月始めて本件計画を能崎少将より聞けり。此の話は何れも幹候隊付将校たりし池田大佐、大久保中佐、高橋少佐の居る席上にて聞けるものなり。その時の話では4ヵ所の慰安所を作る予定にして、1は将校用、2は軍属用、他の1は邦人用たり。能崎少将は既に「バタビヤ」の第16軍司令部より口頭に依る許可を得ありと語りありたり。・・・慰安所の設立には第16軍司令部の許可が必要なりき。・・・ 「ジャワ」の大都市には慰安所関係業務を取扱ふ将校がおり、之等は通常尉官にして、所謂「兵站係将校」とよばれていたり。・・・ 又此の時佐藤少佐は余に対し抑留所にて、志望者を獲得し得たる際は、之等婦女子を以てする慰安所4ヶ所を開設しても良しとの口頭の許可を与へたり。佐藤少佐は書類を以てする許可は後より発送すると約したり。余が「スマラン」帰還後約10日、能崎少将は之が許可証を受領せり。但し、本許可証が何人により署名せられありたるやは知らず。・・・ 之等婦人が州庁の官吏に依り「カナリーラーン」の一「ホテル」に集められたる後、余は此の中種々の年令、容姿の婦人8名を余の監督下にありし「将校クラブ」用として選定せり。 |
証言者 | 岡田慶治 |
証言者属性 | 少佐、第3被告 |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/本人尋問 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1946.11.17 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_118/106-369~374 19743/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日 |
備考 |