出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
---|---|
現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | ジャワ島 スマラン |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | 予は44年1月に始めて能崎より、抑留所より欧人婦人を出して慰安婦とする慰安所の開設計画を聞きたり。之は池田大佐、大久保中佐、及び高橋も出席しありたるある会合の席上なりき。然し何人が抑留者を慰安婦として使用する案を最初に出したるやは、余は知らず。抑留所より欧人婦人を出して使用せんとしたる理由は私見に依れば職業慰安婦が程度の差こそあれ、全員性病に罹りいたるに反し、抑留所よりの婦人は然からざりし事実に依るものならん。 能崎は婦人抑留所に於て、慰安婦となることを志望する婦人が充分に得らるると考へいたり。余が「バタビヤ」にて16軍の参謀と打合せを行ひ、帰任せる際、能崎は余に対し「抑留所の婦人達は種々の困難に遭ひあるを以て、之等婦人達は慰安婦として働くことを恐らく希望するならん」と述べたり。 之等の婦人達は種々の困難なる生活環境下に「キャンプ」に残るか、又は慰安所にて働くかとの選択を与へられたるのみなるを以て、仮令「志望者」として申出たる婦人に対しても、「志望者」なる名には全く該当せずとの事実は、当時、余は気付かざりき。当時能崎が此の事実を知りいたるや否やは余はしらず。 |
証言者 | 岡田慶治 |
証言者属性 | 第3被告、少佐 |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/宣誓証言 第3被告O.K少佐 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_119/19743a/R/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日 |
備考 |