出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | ジャワ島 スマラン |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | 44年1月、森本雪雄と余は我々の慰安所に居る慰安婦をやめさしむべく命ぜられたり。余は当時、慰安所「スマランクラブ」、森本は同様「日の丸クラブ」の経営者たり。之等両慰安所には当時夫々職業慰安婦が居たり。下田及蔦木は当時未だ慰安所を経営しあらず。我々の所には当時「インドネシヤ」及混血の女が居たるも、幹候隊の池田大佐から上記命令を受けたり。慰安婦は帰宅せしめよとの命令の原因は池田大佐の云ふところに依れば、慰安婦として「キャンプ」から欧州人婦女を連行するからとのことなり。何故欧州人婦人を使用せんとしたるかは知らず。・・・ 「カナリーラーン」に於ける婦女の分配の指導権は岡田にありたり。池田大佐はこの場にをらず。石田大尉はその場に居たり。「スマラン」には「兵站将校」(慰安所業務を担任)をらざりしを以て、之等業務は池田大佐を長とする経理部により行はれいたり。又池田の不在間は之等の業務は岡田少佐に依り代行され、彼が各慰安所の最高主任者なり。之等12名の婦人が余の慰安所に来てより2日後に、この中には自由意志に依らざるものがいることが判明せり。余自身之を彼女等に訊ねて、この事実を知り得たり。 |
証言者 | 古谷巌 |
証言者属性 | 第9被告、軍属(経営者)(41歳) |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/本人尋問 第9被告F.I軍属(経営者)(41歳) |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1947.9.8 |
発行所 | |
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出典備考 | 国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_121/106-377~379 19744/R/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日 |
備考 |