出典種別 | 公文書・軍関係資料等
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現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | ジャワ島 スマラン |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | 私は又呼び出され、5分後には仕度をさせられて、「バス」で第2「キャンプ」を経てKanarilaanへ連行さる。1日本人の演説。その日の午後14名と共に元のSplendidホテルに連行さる。(Genielaan)1室に1名ずゝ入れられる。「レストラン」にあらずと思ひつゝ、窓外を見ると、「サック」の使ひかすが落ちていたので、慰安所と想像す。最初の3週間は「ジョンブス」と支那人を番頭を買収して1人も客もとらずに済んだ。亭主は「フリヤ」と云った。或晩酔払ひの将校にふみこまれ、拒んだので、散々殴られ、叩きつけられて失神した。気がついた時には隣室のD夫人が洗浄してくれていた。失神していて何も憶えがないが同夫人の言に依ると、その日本人に強姦されたとのことであった。その晩医者に徹底的に検査され、1週間客をとらずに済んだ。それからTjandiの別の慰安所に移ったが此処は将校だけしか来なかった。 |
証言者 | J.D.A夫人(32歳) |
証言者属性 | オランダ人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/証言 被害者J.D.A夫人(32歳) |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1948.9.17 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_140/106-433 25212/R/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日 |
備考 |
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