出典種別 | 公文書・軍関係資料等
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現在の地域情報 | 中部ジャワ州 スマラン |
資料にある地域情報 | スマラン De Wilde旅館 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 【原文オランダ語】1942年12月と43年1月、[ー]、[ー]、[ー]そして[ー]という日本人がアンバラワ抑留所に二度現れ、18と28歳の間の女性全員に事務所に出頭することを求めました。・・・43年2月の後半、「まっちゃん」という綽名の日本人が2人の運転手を連れてバスで抑留所に来ました。ジョグジャカルタの長官婦人でジョグジャ部門の抑留所の責任者[ー]夫人と、アンバラワの教師の夫人でアンバラワ第6抑留所の責任者[ー]夫人から、荷物をまとめて、日本人たちについて行くように、との指示が私たちにだされました。・・・私たちはこの指示に抗議しましたが、どうにもなりませんでした。・・・それから、私たちはバスでスマランのチャンディに向かい、そこにある中国人の古い屋敷に落ち着きました。そこには、自発的に子ども連れでスマランからやって来た西洋系の既婚婦人たちが相当いました・・・そのほかに、スマランのハルマヘラ抑留所から強制的に連れて来られた未婚の女性たちもいました。・・・中国人の屋敷で私たちは全員整列させられ、[ー]と[ー]と[ー]によって、強制的に連れて来られた者も自発的に来た者も3つのグループに分けられました。・・・それから、私たちは、日本人の[ー]に引率されて、スマランの旅館 De Wilde に運ばれ、全員個室を当てがわれました。 |
証言者 | タイピスト(訊問時の職業) |
証言者属性 | オランダ人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | スマラン事件 軍情報部調書・宣誓尋問調書 資料B/Nefis18(?)/BN/4075/- |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1947.1.16 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 梶村太一郎、村岡崇光、糟谷廣一郎『「慰安婦」強制連行-〔史料〕オランダ軍法会議資料×〔ルポ〕私は”日本鬼子”の子-』金曜日、2008.6.6、132-136ページ |
備考 |
原文オランダ語は未入手
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