記載内容 | 【原文オランダ語】1944年2月23日頃、私は妹3人とアンバラワ第4抑留所に収容されていました。その朝、抑留者たちの代表[ー]嬢は17歳から28歳までの女性たちは出頭してもらいたい、と通知しました。・・・その数日後、私たち8人、すなわち[ー]、[ー]夫人、[ー]、[ー]、[ー]、[ー]夫人、[ー]、それに私は、もう一度事務所に出頭を命じられました。・・・それが済むと、私たちはまた自分の家屋へ帰され、日本人たちは立ち去りました。それから2日して代表からまたもや連絡があり、今度は1時間以内に身支度をして抑留所をでなければならない、というのでした。・・・その後、私たちを乗せたバスはカナリーランにある建物の方へ走ったようです。・・・それから、私たちは3,4人単位で小部屋に入り、日本語の書類に署名させられました。そこには、拳銃をてにした日本人が立っていました。署名を求められている書類の内容について尋ねますと、私には不可解な言葉でなにか唸られただけでした。ほかの多くの人たちも同じでした。この女性たちの中から5人、私、[ー]、[ー]、[ー]、それに[ー]夫人が選び出され、チャンディにある大きな家へ連れて行かれました。後で分りましたが、これは「フタバシュウ」という娼楼でした。そこは周りに板塀をめぐらした大きな屋敷で、極めて小さい門がついていました。そこには門衛が監視していました。 |