出典種別 | 公文書・軍関係資料等
|
現在の地域情報 | 中部ジャワ州 マゲラン |
資料にある地域情報 | マゲラン |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 私は9/'43から8/'45に至る間Moentilan「キャンプ」に抑留され、「キャンプ」内の病院で看護婦をやっていた。・・・我々が「キャンプ」に来てから間もなく日本人の気に入った娘達の名は皆記帳された。又「キャンプ」内には、以前日本人と関係があったと云ふ噂のある婦人も数名いた(之等の婦人の名はRoelofeen副会長が恐らく知っているであらう)。「キャンプ」の事務所に勤務していた1「イ」人警部が我々に語ったところに依ると、之等の婦人達は日本人の許に「バー」で働かせてくれと申出たとのことであったが、此の時にその他の娘達までも一緒に連れて行かれて了った。其の時の状況は次の如くである。或る日のこと、Magelang及びその周辺の州長と云ふ日本人と日本人医師及び「イ」人警官の1団を連れた日本人(日本人計3名)が「バス」で「キャンプ」へやって来た。彼等が連行せんとした婦人や娘達は我々の幹部に依り教会の中へ呼ばれた。日本人はその目的は語らなかったが我々には明瞭に判っていた。教会の中で之等の婦女子は同行を命ぜられ、更に荷物を持って来いと告げられた。・・・やがて彼等は「キャンプ」の外へ出てから、1名の「イ」人巡査を寄越し、娘達を「キャンプ」から出させたいかどうかと我々に訊ねさせた。即ち、この巡査は「Mave?(欲するや?)」と云ったので、数百名の婦人達は「Tidak mave!(欲せず)」と怒鳴り、大騒ぎとなって了った。之を見るや、上記の3名の日本人は警察を連れて再び「キャンプ」の中へ入って来て、「サーベル」で婦人達(抑留者)を追払ひ、その後で巡査達が婦人と娘達を連れて行って了った。それから数日後に「キャンプ」内で娘達の代りに働きたいと云ふ志望者はいないかと云ふ試問があったが、申出る者は1人もいなかった。連れ去られた娘達の中にはJ.d.G(父や海軍勤務)、v.D嬢、H嬢、S嬢が居た。此の外に私は5名の娘を病気と称して連行を免がらしめることが出来た。 |
証言者 | N.T.Ellerkamp |
証言者属性 | 看護婦(45歳) |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/証言 看護婦N.T.E(45歳) |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1946.4.3 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 国立公文書館所蔵/wam公文書サイト:J_J_085/106‐293 3003/R/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日 |
備考 |
現在の地図のスマランの南西方向にマゲランMagelangがある。
|