出典種別 | 公文書・軍関係資料等
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現在の地域情報 | 中部ジャワ州 マゲラン |
資料にある地域情報 | バタビア付近の慰安所 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 私は「キャンプ」で補助看護婦をやっていた。・・・娘達が呼び出された当日、私はJ.d.Gの部屋に一緒に居たが、そこへ幹部の1人が来てJに「貴女も半時間内に仕度をして一緒に行くのだ」と告げた。その時には既に日本人に依り娘達が呼び集められていることは判っていた。Jは激しく泣き出したが、彼女の母親は「どうにもしょうがないのだから、行かなければならぬ」と云っていた。Jは17才位の少女であった。・・・又連行される当日P夫人も指名されたと云ふ話を聞いたが、彼女とは「スラバヤ」キャンプで一緒だったので、挨拶に行った。彼女は激しく泣いていた。私の知っている限りP夫人は決して自由意志で行ったのではない。・・・彼女等は「バタビア」附近の慰安所に入れられて、立派な服や旨い物を与へられ、終戦後は「チヂン」キャンプにいたとのことであった。上記の外にH嬢も連れて行かれたが、彼女は既に前から評判が悪かった。 |
証言者 | T.E.v.Waas夫人 |
証言者属性 | 補助看護婦(37歳) |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/証言 抑留者T.E.v.W夫人(37歳) |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1948.2.24 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_092/106-302 2886/R/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日 |
備考 |
現在の地図のスマランの南西方向にマゲランMagelangがある。
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