出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 東ジャワ州 スラバヤ |
資料にある地域情報 | スラバヤ |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 両親は極貧で、私は15歳で結婚させられ、暴力に耐えかねて実家に戻ると、父は私を隣家の男に売り渡しました。ソウルに出て、全羅道等から来た女性達と満州へ連れて行かれました。最初は料亭で雑用、その後は満州の慰安所に連れていかれ「ハト」と呼ばれました。部屋は10以上あり、20人位の女性がいました。満州で4回も転々としてから、上海、シンガポール、スラバヤの慰安所に連れて行かれました。日本の敗戦が伝わるとインドネシアの人達が万歳を叫びました。私達はシンガポールの収容所に行きました。朝鮮人男女が数百人収容されていました。1年後の1946年、25歳の時、釜山に戻りました。 |
証言者 | チョ・ナムレ |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち3 |
著者、公文書発信者など | 韓国挺身隊研究所・韓国挺身隊問題対策協議会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1999.10.15 |
発行所 | ハヌル |
ページ | 264-274 |
出典備考 | |
備考 | スラバヤはジャワ島東部の、マドゥラ島に接する位置にある。 |