出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 東ジャワ州 スラバヤ |
資料にある地域情報 | スラバヤ |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 斯くして列車は12時30分、目的地たる「スラバヤ」駅に滑り込んだ。部隊は直ちに下車し、先発者の準備せる貨物自動車に分乗し、我々の常に願っていた安住の地へと運ばれた。この家はスラバヤ市の中央に在り、師団司令部はその傍らの5階建のビルデングに置かれており、我々の宿舎は印刷会社でもあったのであろう。活字の散乱した大きな1階の洋館建てである。兵団は爪哇駐屯の間、スラバヤ警備を担当することになった。・・・ 戦争につき物の慰安所も、中、北、南とあり、市街に慣れるに随って、兵等の足がその方へ流れるようになった。妻子ある者、結婚後もない者等内地出発の当時は、こんな街には絶対に足を運ぶまいと堅く心に誓い、妻からもそれとなく注意されて契った約束も、何時死ぬるかわからないと言う捨てばちな精神に凌駕され、ほとんど堅い誓いを反故(ほご)にしてしまった。そして、これ等の人々の誘惑により独身者の純粋無垢な童貞さへ、色白からぬ異国人に次々と奪われて行ったのである。 |
証言者 | 生田利夫 |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 想い出の夢 |
著者、公文書発信者など | 生田利夫 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2000.5 |
発行所 | 立花書院 |
ページ | 88-89 |
出典備考 | |
備考 | スラバヤはジャワ島東部の、マドゥラ島に接する位置にある。アジア歴史資料センター:C14061153900に2万分の1の「スラバヤ市街図」がある。地図欄外には「18年6月」とある。文字がつぶれてい読みにくいが、これを北側から見ると「北慰安所」(タンジョンペラのバタビヤ)、「軍属慰安所」(北部の警察署の東、スラバヤ駅の北)、「下士官兵慰安所」(監獄の東)、「南慰安所」(高等中学校の東)がみえる。これ以外に倶楽部と称するものがある。証言にある「中、北、南」の慰安所は、「下士官兵慰安所」と「軍属慰安所」、「北慰安所」、「南慰安所」に対応するのであろうか。なお、下士官兵慰安所にはこの地図によると、「第1」と「第2」があったようだ。 |