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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報東ジャワ州 マラン
資料にある地域情報ジャワのマラン 霧島工場
慰安所があった時期1942年
記載内容着いたところは、バンドンよりも高地のところで、避暑にはうって付けの、さわやかな風が吹くマランの町であった。そこの町外れに敷地の広い工場があり、汽車の引き込み線があった。・・・その工場は、第16野戦航空修理廠マラン分廠の部品工場で、オランダの会社から接収した農機具工場跡を改良し、霧島工場と呼んでいた。・・・飛行場は、そこから6キロ離れた郊外にあったが、格納庫は1棟だけであった。・・・ローソク病は、性病でも最もタチの悪い病気で極楽島と風評されたジャワの、陰のシンボルみたいなものであった。・・・軍人の間ではローソク病も含めて、性病を三等賞と呼んでいた。私は、三等賞の発祥となる軍人の慰安所を見学したいと思った。そんな或る日、人事担当の八木少尉が霧島工場にやって来た。衛生巡察のため、慰安所を検査にきたという。・・・将校用の慰安所は、長屋が間仕切りされ、各室ごとに、墨痕鮮やかに書かれた五カ条の訓示が貼り紙されている。・・・慰安婦は、年令14・5歳が多く、古代先祖さまの風貌をした現地女性の志願者であるが、熱帯地方と日本の大人感覚は、成熟度が違うので、このことを書き添えておく。
証言者岡本勝
証言者属性第16野戦航空修理廠マラン分廠の部品工場・アドバイザー陸軍軍属
部隊名
資料タイトル風と雲の青春-昭和従軍少年史-
著者、公文書発信者など宇陸航16年度同期生有志
公文書宛先
発行日1994.2.1
発行所宇陸航16年度同期生有志
ページ36-37
出典備考岡本勝「敵中マランの町にて」
備考 スラバヤの南方にマランMalangがある。
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