出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 西カリマンタン州 ポンティアナック |
資料にある地域情報 | ボルネオ ポンティアナック |
慰安所があった時期 | 1943年9月 |
記載内容 | 【原文:オランダ語】Borneo(ボルネオ) 初めのころ、タラカン抑留所のヨーロッパ人女性が現地の日本食堂でウエイトレスとして働いていたが、この食堂は娼楼ではない。前述の如く、1943年9月初め、日本軍は現地の女性と日本軍人の一切の接触を禁ずると同時に娼楼を各地に設置した。日本軍政部の指示により、ポンティアナクとその周辺で5軒から7軒の娼楼が現地の日本企業連合によって設置された。これらの企業はボルネオ島の天然資源を獲得するためにこの島に駐在していた。後日、軍政部は娼楼の管理を自ら引き受けた。 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 日本占領下蘭領東インドにおけるオランダ人女性に対する強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告(Gedwongen prostitutie van Nederlandse vrouwen in voormalig Nederlands-Indie) |
著者、公文書発信者など | オランダ外務省 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1994.1.24 |
発行所 | |
ページ | 15 |
出典備考 | wam公文書サイト:FG_001 |
備考 | 翻訳は、梶村太一郎、村岡崇光、糟谷廣一郎『「慰安婦」強制連行-〔史料〕オランダ軍法会議資料×〔ルポ〕私は”日本鬼子”の子-』金曜日、2008.6.6、pp214-246参照。 |