出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 西カリマンタン州 ポンティアナック |
資料にある地域情報 | ポンテナック |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 当時の辻橋氏は海軍民生部の仕事も担当していたが、同地区では陸海軍共同というより、陸海協定により、海軍が司政権を持っていたので、慰安所も同氏の管轄にあった。・・・ 「同地区ではカリマンタンのバリクパパンに相当規模の慰安所がありました。そのほかバデルマシン、ポンテナック、タラカンに中規模のがあった。ただし南方他地区のごとく、現地人女性を慰安婦にすることはなかった。石油産出地で現地人も多かったが、方針として慰安婦には、内地から日本人、朝鮮人の女性を連れて来ていた。ただし奥地では宣撫用、と言っても日本軍の宣撫用に、現地人の慰安婦が連れられていたようです。この現地人慰安婦については物資そのほか防諜の点で注意をはらったのを記憶しています。これは南方諸地域どこでも共通のことだったと思います。内地から連れて来た慰安婦は海軍の責任で、当初は日本へ石油を運ぶ油槽船の船員慰安という名目になっていたはずです。それを後から軍が利用する形になっていきました。・・・」 |
証言者 | 辻橋文吉 |
証言者属性 | 海軍大佐 |
部隊名 | 海軍根拠地隊 |
資料タイトル | 従軍慰安婦〈正編〉 |
著者、公文書発信者など | 千田夏光 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1978.9.30 |
発行所 | 三一書房 |
ページ | 181-182 |
出典備考 | |
備考 | 西カリマンタンの西海岸沿いにポンティアナックPontianakがある。 |