出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 東カリマンタン州 バリクパパン |
資料にある地域情報 | バリクパパン |
慰安所があった時期 | 1941年3月 |
記載内容 | 第二設営班 矢部部隊 一、編制 隊長 海軍技師 矢部雅士・・・ 主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘・・・ 二、装備 5.設営後の状況・・・ バリクパパンではY場の整備一応完了して攻連械による蘭印作戦が始まると工員連中中るみが出た風で又日本出港の際約2ヶ月の旨申し渡しありし為皈心矢の如く□荒くなり日本人同志けんか等起こる様になる。 主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設 気持の緩和に非常に効果ありたり。 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 海軍航空基地 第二設営班資料 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1962.4 |
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出典備考 | wam公文書サイト:J_004/「資料紹介:ダバオ、バリックパパン海軍航空基地第二設営班慰安所の資料」『季刊 戦争責任研究 第75号』(2012年春季号)参照。海軍航空基地第二設営班(隊長・矢部雅士海軍技師)の工営長(海軍技師)だった宮地米三氏がまとめたもので、1962年4月に、この文書の複製がつくられ、それを防衛省防衛研究所が所蔵。平和資料館・草の家の調査チームが発見。 |
備考 | バリクパパンは東カリマンタンの海岸沿いにある。バリクパパン中心部の東側にマンガルManggarがある。バリクパパンの一部である。本資料の地図の慰安所はこのマンガルの西端か外れる位置と思われる。いずれにしろバリクパパンに含まれる。 |