出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 北スラウェシ州 ミナハサ県 ソンデル |
資料にある地域情報 | ソンデル |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | ある日、突然M主計少尉から、「軍医さん、慰安所ができることになりましたよ」と言われた。・・・経営は韓国出身の日本語の上手な女性(朝子)が、慰安所の女性集めは出入りの御用商人のニコラス・タンブブン、フレッ・タンブブン兄弟が担当することになっているとのことであった。慰安所の女性を集めるために必要な布地などの物資は、部隊の主計からニコラスに与えるとのことであった。・・・ 慰安所の検診は、1週間に一度、土曜日に定期的に行われた。・・・『どうして慰安所で働く気になったのか』『ニコラスは喫茶店と言いました。1日3度、肉と魚でご飯がたべられ、お金のほかに、洋服がもらえるところと言われました』と怯えるような態度で重い口を開いた。『ニコラスが恐いのです。ニコラスは、もし逃げたら憲兵につかまって殺されると言いました』・・・ 慰安所が部隊ごとにあったことは事実であり否定しない。慰安所には少ないところで4~5名、多いところでは10~20名位の慰安婦がいた。全員インドネシア人であった。私が所属した独立歩兵第375大隊は、ケマ、トリアンゴキ、ソンデル、ベランの4地区に分散駐屯していたので、慰安婦全員の人数は不明であるが、ソンデル町には約10名、ケマ町のは約20名の慰安婦がいた。 |
証言者 | 福岡良男 |
証言者属性 | 日本軍兵士・軍医 |
部隊名 | 独立歩兵第375大隊 |
資料タイトル | 軍医のみた大東亜戦争 インドネシアとの邂逅 |
著者、公文書発信者など | 福岡良男 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2004.5.7 |
発行所 | 暁印書館 |
ページ | 130-145 |
出典備考 | 著者略歴に「1944年 軍医として召集され、インドネシア スラウェシ島北部マナド地区委に2年間勤務」とある。 |
備考 | 著者略歴に「1944年 軍医として召集され、インドネシア スラウェシ島北部マナド地区委に2年間勤務」とある。 |