出典種別 | 公文書・軍関係資料等
|
現在の地域情報 | バリ州 デンバサール |
資料にある地域情報 | バリ島デンパサール |
慰安所があった時期 | 1942年 |
記載内容 | 【原文オランダ語】1941年に(1942年か?)私は日本軍から、日本軍兵士のための慰安所を開くよう強制されました。この種の仕事は私の宗教上禁止されていたので、拒否しましたが、無駄でした。私自身がこの家に泊まらせた女性たちは自分たちの自由な意思で来ました。彼女たちは職業的な売春婦で、全部で約17人でした。それからちょうど1年後、7月ごろに初めて、A(被告)によって強制されて女性たちが慰安所に連れて来られました。彼女たちが強制されていたということは、彼女たちが車から降りて慰安所に入るときに泣いていたという事実から明らかでした。彼女たちは10人でした。彼女たちはAによって一人ずつ車から引きずり出されたので、服は引き裂かれていたほどでした。それ以降、彼女たちはこの家を離れることを許されず、おおむね監禁状態におかれていました。・・・私は1943年まで、もっと正確に言えばその年の4月1日ごろまで慰安所の経営にあたっていました。そして、この仕事をやめたいという強い要望がAによってようやく許され、THSが私の後を引き継ぐことになりました。最後に、私は日本人のAから命令を受け、Aが慰安所を監督し、管理していたと言うことができます。 |
証言者 | 47歳 商人 デンパサール在住 |
証言者属性 | 慰安所経営者 |
部隊名 | バリ島海軍第三警備隊 |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 第25号事件(三警事件)/尋問調書 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 国立公文書館所蔵/wam公文書サイト:J_J_003 |
備考 |
日本語訳は、林博史「【資料紹介】「慰安婦」など性的強制事件と軍による隠蔽工作」『季刊 戦争責任研究 第82号』2014年夏季号、24ページより
|