出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | バリ州 |
資料にある地域情報 | バリ島 |
慰安所があった時期 | 未記載 |
記載内容 | 先の戦争を「侵略戦争」であると明言した総理大臣もある中で、その都度、戦争責任に関する議論が高まっているが、終戦直後に、侵略戦争の責任を負い、自ら命を断つことで罪を償った日本人がいました。その名は「三浦ジョー」1945年9月7日、インドネシア、バリ島でピストル自決しました。・・・インドネシアの日本軍では「インドネシアの独立」という旗印を掲げたのです。三浦ジョーもこの言葉に乗せられた、信じていたのです。・・・島民の協力を得てきた三浦にとって、どうしても説得できない問題が起きた。その一つが「慰安婦の募集」でした。また、バリ島だけでも約6千人が強制労働で島外に送られ、解放者であるはずの日本の素顔が暴露されていったのです。大東亜共栄圏の理想と嘘と、バリ島民の間に立っていた三浦ジョーの立場は非常に苦しいものでした。 |
証言者 | 三浦譲 |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 二十世紀を生き抜いた証言者の群れ-富士の語りべの記 第十集- |
著者、公文書発信者など | 富士の語りべの会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2008.8.15 |
発行所 | 富士の語りべの会 |
ページ | 67 |
出典備考 | 三浦譲「終戦直後バリ島で自決」 |
備考 | バリ島はジャワ島の東にある島である。行政区画上、バリ島とその東のペニダ島がバリ州に含まれる。 |