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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報マルク州 アンボン ラハ
資料にある地域情報アンボン島 飛行場のすぐ横
慰安所があった時期1942年5月頃
記載内容ある時、船団を護衛してセレベス島の南にある小さな島、アンボンに着陸して、翌日スラバヤに帰ることになった。・・・翌日は午後3時出発ということで、海岸にある慰安所へさそわれるままに行った。飛行場のすぐ横にあった。アンペラで囲った2坪くらいの家が6,7軒あった。外からのぞけば中の行為がすぐわかるような粗末な家である。陸軍の兵隊たちが大勢列をつくって順番を待っていた。ちょうど内地の配給所の行列のようだ。・・・兵隊は巻き脚絆姿であるが、そのままで、ズボンをずらして行為をする。まるで共同便所のように、すんだら次々である。飢えた狼にむしばまれて、女の方は立ち上がる気力もない。寝たまま男の済んだサックを寝台の下にあるカメに放り込むだけである。
証言者宮脇廣信
証言者属性
部隊名
資料タイトル七生神雷特別攻撃隊-大空に雲は行き雲は流れる-
著者、公文書発信者など宮脇廣信
公文書宛先
発行日1998.5.3
発行所生涯学習研究社
ページ47
出典備考
備考 48頁に「5月15日から6月23日まで、四ヒ号。第一次豪州進攻作戦に参加と軍隊手帳」に記載されており、この時期のアンボン出張と思われる。慰安所は飛行場のすぐ横にあった記載されており、アンボン市街ではなく、飛行場のあったラハと思われる。宮脇の飛行場着陸後の証言に「あの向いのアンボン港に」とある。アジア歴史資料センター:C08030732600の0901、0766(同一ページに二つのページが付されている)に、「ラハ飛行場付近概図」があるが、この地図に市街地域と思われる個所が複数ある。海岸沿いにラハがあり、飛行場の奥、内陸側に地名は記載されていないが市街地域がある。現在の地図ではラハLahaに包含される地域である。
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