出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | マルク州 アンボン |
資料にある地域情報 | アンボン |
慰安所があった時期 | 1944年7月 |
記載内容 | 「うめまる」「うめか」「はるこ」「まさこ」……90歳近い老人は、はっきりとその女性たちの名前を記憶していた。・・・ アンボンの滝の流れる近くにあった慰安所には、日本人のほか、朝鮮人、中国人、タイ人の女性もいたが、この人は、日本人慰安婦の境遇にことのほか同情を寄せていた。・・・1944(昭和19)年7月、スラバヤからアンボンに転属したIさんは、兵舎にいても寂しいから外出しないかと同僚に誘われ、慰安所に行った。「うめまる」と名乗る16か17歳の日本人慰安婦が出てきた。どう見ても子どもにしか見えず、相手にしなかったところ、あどけない顔の「うめまる」は、ふて腐れたように自分を抱けと迫ったという。・・・そうこうするうちに「うめまる」とけんかになり、騒ぎを聞きつけ、そこへ姉さん格の紅い友禅の着物を着た女が現れた。慰安所のような所では、こういった騒ぎは日常茶飯事であったろうから、手慣れた年長の者が仲裁に入ることになっていたのだろう。・・・「7年も会わんから、わからんのやろう。『石原の手切れの娘』(文中仮名)と言ったらわかるやろう」と平然と言い放った。そのとき、初めて眼前の紅い友禅の女が、親戚の娘、「まさこさん」であることに気づいたそうだ。「まさこさん」の父親が海南島に軍属で行って、手を負傷したため、『手切れの石原』と通称されていた。・・・驚いたことにその慰安所には、「まさこさん」だけでなく、妹で当時16歳くらいの「はるこさん」も連れてこられていた。姉妹で同じ慰安所に入っていたのだ。「まさこさん」と「はるこさん」が、同郷のしかも親戚の娘でもあることから、Iさんは、慰安所の日本人慰安婦と急速に親しくなっていった。 |
証言者 | Iさん(匿名) |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 山砲兵第48連隊 |
資料タイトル | 封印された過去 元日本軍兵士が語った日本人慰安婦 |
著者、公文書発信者など | 平尾弘子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2004.9 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 『部落解放』2004年9月号所収84-95p |
備考 | アンボン島はニューギニア島とスラウェシ島の間にある。 |