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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報北マルク州 北ハルマヘラ県 ガレラ
資料にある地域情報ハルマヘラ島 ガレラ
慰安所があった時期
記載内容部隊がタラカン湖畔に展開した当時、縫工場に毎日村の娘がバナナ、パイナップル、南瓜、鶏等物々交換に来た。・・・縫工場の前を通り飛行場の方へ向って行くと右手に機関砲隊があり、その裏の方の湖畔に慰安所があった。縫工場の裏からも椰子の間を抜けて行く細い路が出来ており、だれが付けたか愛の細路とシャレた名前で呼んでいた。部隊では将校、下士官が主に利用していたようであった。慰安婦は30名余りおり、その中の1人に源氏名を清子(本名リナー)と名乗る18才の若い娘を知り、よく遊びに行った。彼女らは、セレベス島のメナドから、東印度水産会社の事務員にすると騙されて、ガレラに連れてこられ、慰安婦にさせられたそうである。彼女らの女学生時代のセーラー服姿の写真を見せられたが、日本の女学生と同じ服装で、メナド人はミナハサ族といって色白で、日本人によく似た顔立ちで美人であった。彼女らは当時としては高等教育を受けた良家の子供達であった。昭和19年8月の被爆後、彼女らは憲兵隊の掌握下に入り、各部落民が合同疎開をしていた野戦病院の裏の方の部落と憲兵隊の後の方の大きなアタップ葺きの家屋に30名余り一緒に生活をしていた。
証言者不明
証言者属性
部隊名輜重兵第32連隊
資料タイトル我等の軍隊生活
著者、公文書発信者など元輜重兵第32連隊第1中隊戦友会八木会
公文書宛先
発行日1983.2.5
発行所元輜重兵第32連隊第1中隊戦友会八木会
ページ293
出典備考『季刊戦争責任研究 第5号』 日本の戦争責任資料センター 1994秋
備考
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